10.29
2015 MEDIA
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ボリス・ギルトブルグ、 BBC Music Magazine へ寄稿
ボリス・ギルトブルグが「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番『悲愴』、第21番『ワルトシュタイン』、第32番」のリリースに際し、『BBC Music Magazine』に寄稿しました。
Boris Giltburg on Beethoven's Op. 111 Piano Sonata
「これはどのような音楽か言葉で表現しなさい」と言われることに、ひどく恐怖を感じていた。音楽そのもの以外は何も「見た」ことはないし、私の創ったストーリーが、音楽を合わない拘束服のような不適当な枠に押し込むことは、有害無益なことだ。しかし、まれにストーリーが心に浮かんできた時、それに抵抗するのは難しかった。
ちょうど今、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ op.111(第32番)の第二楽章に取り組んでいる。そこに発見の瞬間があり、詳細なシナリオは頭の中で具体化できた。はっきりと見えたテーマは、山の牧草地。そこには、晴れ渡り、期待に満ちて果てしなく聡明な場所がある(早朝の極寒の空気、開放感を想像して)。ヴァリエーションが進むにつれて、自然が活気を帯びてきた(流れる水、風に揺れる木々)。第三ヴァリエーションの爆発からは、溢れるほどのエネルギーで谷を駆け抜ける野生の仔馬、そしてそのたてがみに照り付ける太陽。すると、突然に移り変わる闇と光――。さらに高い天上に様々なシーンが散りばめられている宇宙を巡る旅となる。
これはまだ半分に過ぎない。と同時に(そのようにイメージすると、発見することにわくわくした)、音楽は人間の魂を表現した。純粋、高貴、そして魂の始まりから終わりまで(秋の気配は過ぎ去ったテーマを惜しみ、それを受け入れることで終わりを示唆した)。続くヴァリエーションは記憶を遡る旅で、だんだんと生命とエネルギーが回復する。仔馬は若さみなぎり、幸せと負けなしの幸福に酔っていた。
曲が進むに従い、ディテールは満ちていく。2つの要素はヴァリエーションを移ろい(終わりの部分は、空間や時間のない澄んだ魂である)、しかし、その調和は2つが合わさったところにあった。ベートーヴェンの驚くべき才能は、これらを並列するのではなく、絶え間なく広がる自然とはかない一つの魂を同じフレーズに統合させるというところにあり、そこにこの楽章への鍵がある。これを理解できたことに対して、大いに自分を誇りに思った。
このシナリオを元に第二楽章に取り組み、演奏し、録音したものを聴いた。ユートピアはあっという間に消えた。想像していたシーンと実際に演奏した時のギャップは、音楽の外にあるストーリーの魅惑と危険を強く思い出させた。テーマはもちろん山の牧草地ではないし、その他のなにものでもなく、演奏される音と間隔と和音の集まりである。ほとんど無に等しい分子が奇跡的に生命を成し、考え、感じる人間を創り上げたように、それらの音とそれを取り囲む空間が、ふさわしい人の手で私たちに場面や個性、感情を示唆する何かを形創ることは、まさに音楽の奇跡である。
結局、長い間演奏の秘密の公式追い求め、そこで得られたものに立ち返ったのだ。ショートカットも魔法もない。まず、何層にも及ぶ先入観を壊し、まっさらな音楽の文字が残るのみにする。そして、あなたの直感が何か小さな部分と同調し、それによって作品の核に近づいてくれるよう願い、委ねる。それは音を越えて存在しており、理解しにくく、主観的に捉えにくい生命力だが、そこに音はとどまり、そこに唯一の道が開かれると信じている。あとは時の流れにみを任せるのみ。そして演奏の展開は、その作品の中にある音楽の真実と強くつながるのだ。
――ボリス・ギルトブルグ